味鋺神社
(現在 楠味鋺二)
(現在 東味鋺二)

岩谷堂観音

 岩屋堂観音は江戸時代中期に荒廃し、本尊の十一面観音菩薩や仁王像、仏具等は
護国院に引き取られ、境内の堂に安置されている、石像観音立像は岩屋堂観音の岩屋堂
古墳より出土した石棺の中に納められ、仁王像は戦災で焼けた大須観音(中区 大須二)に
一時移されたが。昭和二十六年(1951)護国院に戻された(現在は本堂に安置) 岩屋堂は
味鋺八景の一つ  「岩屋堂の秋月」
街道の東、六所明神とも言い従三位天神。創建は明かではないが
延喜年(901)以前の創建で「護国院縁起記」によると天平年間(7
29〜49)行基が薬師寺(護国院)鎮護の神として祭ったと記す。
古くは物部氏の祖、宇摩志麻治命(味間見命)の子味饒田命(あし
にきたのみこと)を祭る。寛治七年(1093)競馬の神事を行ったか
ら流鏑馬が有名であった。

味鋺神社の西隣に在、天平年間(729〜49)僧行基が潅漑用の池
(鏡池:楠四)を堀り当地に草庵を結び薬師如来座等刻み、一寺を建
立し薬師寺(天台宗)と号した。鏡池も「鏡池落雁」として味鋺八景の
一つだった。天永二年(1111)僧西弥は寺を再興し大いに栄えたが
応仁の乱(1467)の戦乱で衰退し文明十一年(1479)火災により
伽藍僧坊は焼け落ちた。天正九年(1581)天沢が蓮華座像(丹羽
長秀の寄進)を作り寺を復興。慶安年間(1648〜51)九世良意が
仮本堂を改め本堂を再建。現在残る本堂がそれである。宝物として
古墳から出土した鉄鉾、鏡。尊勝種子曼茶羅図は市の文化財。
千手観音二十八部衆像は国の重要文化財(市博物館に保管)。
護国院
(現在 楠味鋺二)
(現在残る本堂)
上の写真が当時の馬場の跡
(現在の山門)
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味鋺天神